BRUTUS 2009年3月号のラジオ特集を読んで、良いラジオ番組について考える

BRUTUS がラジオ特集だと聞いて、お嫁ちゃんに買い物ついでに買ってきてもらいました。

伊集院光さんのインタビュー記事の中に、今日ちょうど考えていた事に似た内容がありました。

以下、ちょっと引用。



そのせいだと思うんですけど、ラジオってなんか、みんなでコロニーを作ろうとしている感じ。ラジオという不自由さを補い合い、僕というポンコツ村長を補い笑ってくれるリスナーの優しさで。
BRUTUS 3月1日号 伊集院光インタビュー

ちょうど今日の早朝に2月8日の安住紳一郎の日曜天国のポッドキャストを聞いていて、大笑いしながら(そして寝ている家族に気味悪がられながら)「良いラジオ番組ってこういう事だ」と感じていたところでした。

なんで笑ったかはポッドキャストを最後まで聞いてもらうとして、僕が感じたのは「良いラジオ番組は良いリスナーの協力で作られる。」もしくは「リスナーが協力しやすい環境や習慣を作る事ができた番組が良いラジオ番組になる」という事です。

言葉では理解していたつもりだったんですが、今日やっと腑に落ちました。そして伊集院さんのインタビューの『補い合い』という言葉はまさにその事を指している、と思いました。

そんで、これって別にラジオ番組に限った話じゃなくて、Web系のお仕事でも同じような事が言えるんじゃないかな、と思います。ブログのエントリー1つでさえそうかもしれません。

提供者と利用者の協力を意識する。今後何か作る時はこういう環境ができやすいかどうかを気にする事にします。提供側は、利用者に対して「どういう風に協力すればよいか」を、野暮にならない程度に明示すると良い、という感じでしょうか。

「野暮にならない程度に」というのは、あからさまだと協力する気がうせるよな、という事なんですけどどうでしょう。CGMとかあからさまに言われると、「てめえのために生成してるわけじゃねえよ!」っていう気持ちになりませんか。

あとどうでもいいけど、自分が聞いてるラジオ番組が石野卓球とまるっきり同じで可笑しかったです。